経験は無価値 ―夏休みの計画その二―

こんにちは。
今日は、夏休みの目標の続きとして、卒論とマンガについてとタイトルについて書きます。

 

卒論
現在使っている片手用キーボードですが、これは自分が「これが楽そう」という観点で作ったものです。そのため、想定・考慮漏れがかなりあります。例えば、英語での連続使用するアルファベットやプログラミング使用など・・・
そのため、卒業研究では、こういったことを考慮した配列を機械学習を使って作りたいと思います。

 

マンガ
卒業するまでに何らかの芸術に慣れ親しみ、作品を出すまでに成長するというのを目標としています。もともとのきっかけは、たまに、突然、自分の中にある何かを吐き出したいと思う気持ちが生まれることがあったのですが、それを解消する術を知らなかったため、放置せざるを得なかったため、それを解消する方法を得ようということと、言語に頼らない表現方法も知っておこうという思惑があります。自分は明らかに文字を使った文芸のほうが向いてそうなのですが、これからずっと文字に縛られるのも嫌だったので、絵を描くことにしました。音楽なども考えはしたのですが、作曲なら結局歌詞を付け出しそうだし、演奏しようにも片手が使えないので、まともにできそうもないのでやめにしました。


最後にタイトルの「経験は無価値」についてですが、これは2つの意味を持たせて書きました。
1つは、人の人生には後世に残せず、死んだら無駄となる経験があまりにも多いこと。一般に経験が重要視されるのは、その経験からスキルを得られるためで、お金になるケースが多く、秘匿しがちですが、たとえ本なども書いたとしても、著者が想定しているスキルをそのまま得られることは多くはなく、手続き記憶のようにそもそも他人に伝えられないようなスキルもあります。
2つには、限られた人生で、他人が一回やったことはやりたくないという考えです。もちろん、悲しいかな、人間は環境の中からしか発想を得ることがほぼないので、そうも言ってられないのですが、基本的には、人が知識として確立したものを他の人がまた得る必要があるというのは、人類全体で見た時、無駄の極みだと考えます。もちろん、人類、日本人と言っても、一枚岩ではないのでしょうが、不死や宇宙研究といった大きな目標の前に折れてほしいものです。所詮あなたが死んだら、そのこだわりに意味はなくなるのですから。

 

明日以降は、計画の具体的内容と進捗状況について書こうと思います。